大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和51年(わ)4441号 判決 1979年4月17日

主文

被告人大東鉄線株式会社を罰金七〇万円に、被告人松下隆博を禁錮八月に、被告人坪野正を禁錮一年に、それぞれ処する。

この裁判の確定した日から、被告人松下に対し二年間、被告人坪野に対し三年間、それぞれ右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人中井博一(二回分)、同新川勝己、同大川十彦、同下川正幸、同山田正次、同橋本義一(第五回公判分)に支給した分は被告人ら三名の、証人橋本義一(第四回公判分)、同三谷喜芳に支給した分は被告人大東鉄線株式会社および被告人松下隆博の、各連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人大東鉄線株式会社(以下被告会社という)は、大阪府東大阪市長堂三丁目一一番地に本社および第一工場を、府道を隔てた同市高井田中一丁目八番一号に第二工場を有し、鉄線、針金、釘の製造およびその販売を業とする会社で、第二工場で行つている釘製造工程中の電気メツキ作業から生ずるシアンおよび酸を含んだ有害な廃水を処理するため、同工場東側敷地内に排水処理場を設け、同所に硫酸、次亜塩素酸ソーダ、苛性ソーダの各薬品貯蔵タンクを設置し、これらの薬品を廃水に添加して中和処理し、これを公共水域に放流する等していたものであり、被告人松下隆博は、昭和四七年三月被告会社に入社し、本件当時倉庫班長代理兼前記排水処理場の責任者として、同施設の維持管理およびこれに附随して同施設で使用する硫酸等の薬品の受入業務に従事していたものであり、被告人坪野正は、本件当時大阪市西成区津守七丁目一一番三号所在の昌栄運輸株式会社に自動車運転手として勤務し、同社が薬品会社から運送を委託された硫酸等の薬品をタンクローリー車によりその注文先の企業に運搬配達しこれを納入する業務に従事していたものであるところ、

第一被告人松下は、前記被告会社の業務に関し、昭和五一年三月二六日午前一〇時二〇分ころ、被告会社第二工場内排水処理場において、被告会社が同処理場で中和剤として使用する硫酸を三徳薬品株式会社に発注し、それにもとづき右三徳薬品から委託を受けた昌栄運輸株式会社の自動車運転手である被告人坪野正がタンクローリー車で運搬して来た硫酸約四、八五〇キログラムを、坪野の作業により右排水処理場内に設置された硫酸の貯蔵タンク内に、それに通ずるパイプを通して受け入れようとしたものであるが、右処理場内には、硫酸貯蔵タンクに通ずるパイプの注入口と次亜塩素酸ソーダ貯蔵タンクに通ずるパイプの注入口とが、ともに同処理場の西壁面の高さ約一メートルの位置に、その間隔が約1.2メートルと接近して併設されていたうえ、両注入口とも塩化ビニール製の同型同色で、注入すべき薬品名の表示も一見して明確でない状況にあつたから、薬品を運搬して来た運転手が両注入口を取り違えてタンクローリー車のホースを接続し、硫酸を次亜塩素酸ソーダのタンクへ注入するおそれがあり、その場合タンク内に残留する次亜塩素酸ソーダと注入された硫酸とが混入化合して塩素ガスが発生し、これが工場外に排出されて周辺住民の生命および身体に危険を生じさせるおそれがあつたのであるから、このような場合被告会社の受入れ業務担当者としては、右坪野の注入作業に立ち会い、同人がタンクローリー車のホースを間違いなく硫酸の受入れパイプの注入口に結着したことを確認したうえ、自ら同注入口の開閉コツクを開き、あるいは同人をしてこれを開かせて硫酸の注入を開始し、それが正常に注入し終るまでこれを監視し、事故発生のないようその安全を確認すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、右受入れの際、自らは右処理場の出入口の扉を開き、右坪野を迎え入れたのみで、漫然右坪野に硫酸の注入作業一切を任せて同人と雑談し、同人が注入口を取り違えて次亜塩素酸ソーダの注入口にタンクローリー車のホースを結着しているのに気付かないまま同人をして硫酸の注入を開始させ、その後も正常に注入作業が遂行されているか否かを確認しないまま間もなく同処理場内から立ち去つた

第二被告人坪野正は、前同月二六日午前一〇二〇分ころ、前記被告会社第二工場内排水処理場において、前記のように、被告会社の発注により自己がタンクローリー車で運搬して来た硫酸を被告会社に納入するに際し、右排水処理場内の硫酸貯蔵タンク内に、これに接続するパイプの注入口にタンクローリー車のホースを接続してこのパイプを通じて注入しようとしたが、同処理場内に設置されていた硫酸の注入口は、前記第一に記載のように次亜塩素酸ソーダの注入口に接近併設されていて、その口径も同一であつて、その識別表示も鮮明でなかつたため、両注入口を取り違え誤まつてタンクローリー車のホースを次亜塩素酸ソーダの注入口に接続し、そのタンク内に硫酸を注入するおそれのある状況にあり、かつその注入を誤まると塩素ガスを発生排出させ人の健康を害するおそれがあつたから、このような場合、薬品納入担当者としては、自らその注入口の表示標識を確認することはもちろん、立ち会つた被告会社の係員に問いただすなどして硫酸の注入口であることを確認したうえ、これにタンクローリー車のホースを結着して硫酸の注入を開始すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、漫然とその作業にとりかかり、何らの確認方法もとらず、これに立ち会つた被告人松下と雑談を交わしながら、次亜塩素酸ソーダの注入口と軽信してこれを取り違え、これにタンクローリー車のホースを結着して注入を開始した

各過失の競合により、被告人坪野正において、同日午前一〇時二〇分ころから同日午前一〇時三〇分ころまでの間、右タンクローリー車の電動コンプレツサーを作動させて濃度62.5パーセントの硫酸約二、三一〇キログラムを、有効塩素酸約13.4パーセントの次亜塩素酸ソーダ約三、九六〇キログラム在中の次亜塩素酸ソーダのタンク内に注入し、同日午前一〇時二〇分ころから同日正午ころまでの間に、両液の化合により塩素ガス約三二〇キログラムを発生させ、その大部分は右次亜塩素酸ソーダタンク上部のマンホール口から扉の開いていた同処理場の入口を通つて、その一部は同タンクの工場外に通ずる排気口等から、それぞれ工場外の大気中にこれを放出させ、被告人松下においては同会社の事業活動として人の健康を害する有害物質を排出し、折からの風によつて東大阪市高井田本通、高井田中、長堂、長栄寺など約一六、〇〇〇平方メートルの地域にこれを拡散させ、よつて別紙一覧表記載のとおり、浅尾修行ほか一一八名の住民に対し、加療一日ないし一三九日を要する塩素ガス吸引にもとづく急性上気道炎、急性気管支炎、急性咽頭炎、急性結膜炎、急性皮膚炎等の傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(主な争点とこれに対する判断)

被告会社および被告人松下の弁護人は、本件の塩素ガスの発生ならびに大気中への放出は、人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(以下公害罪法という)第三条に規定するところの「排出」行為には該当しないのみか、右は「被告会社の事業活動に伴つて」生じたものでもないから、本件事故に関しては被告人松下に対し業務上過失傷害罪が成立することがあつても、同被告人についてはもちろん、被告会社が、公害罪法違反の罪に問われる筋合はなくこの点に関する限り無罪であると主張する。

(一)  まず、本件塩素ガスを発生放出させたことが、公害罪法にいう「排出」にあたるか否かについて検討する。

弁護人は、公害罪法にいう「排出」の解釈については、同法に何らの定めもしていないから、その立法の経過と目的に照らして考えると、少くとも他の公害関係諸法令と統一的に理解すべきであるといい、それは「企業主体が管理する廃棄物ないし不用となつた有害物質をその予定された排出施設(排気口または排水溝)を用いて大気中または水域に放出流出することをいう」と解すべきであると主張する。なるほど、公害罪法には「有害物質」の内容や「排出」の概念については何らの規定も置いていないこと、また、同法の目的とするところは、公害の防止に関する他の法令に基づく規制と相まつて人の健康に係る公害の防止に資することにあること、そして、公害防止に関する法令である大気汚染防止法では、「排出」という用語のほかに「発生」「飛散」等の行為を併記して規定(二条五項)し、その汚染原因となる有害物質についても、例えば「物の燃焼、合成、分解、その他の処理に伴い発生する物質……」と定めたり(二条一項三号)、また、その排出の許容限度を定める同法三条二項では、「はい煙発生施設において発生し、排出口から大気中に排出される排出物……」との文言を用い、有害物質の発生場所やその排出経路についても明文を設けていること、また、水質汚濁防止法においては、規制対象となる施設や排水基準を定め、右基準に適合しているかどうかは、排水口においてこれをみることとしながら、他方において、その「排出」とは別に「地下にしみ込むこと」を防止する措置をしなければならないと規定し(一四条三項)、「排出」と「しみ込み」を区別し、あるいは、海洋汚染及び海上災害防止に関する法律では「排出とは物を海洋に流し、又は、落すことをいう」と定義するほか、改正刑法草案二〇八条には、有害物を放出、投棄、散布、流出させることを処罰する旨規定していること、その他悪臭防止法では「排出」には「漏出」を含むと規定(三条)するなど、「有害物質」ならびに「排出」の概念については、各その法令によつて意味内容が違つて用いられていることは、弁護人所論のとおりである。しかし、これらの法令は、いずれも通常の企業活動の状況のなかにおいて、いわゆる公害の原因となるものを行政の力によつて事前規制することによつて、環境の浄化を図ろうとする目的で制定されたものであるから、その規制の対象や態様は、必然的に、事業主体が通常の事業遂行過程において生じた産業廃棄物ないしは無用となつた物を、しかもそれを廃棄するための施設を通じて工場や事業場外の生活圏に放出する場合に限つて規制することにならざるを得ないこととなる。したがつて、これらの法令が規制対象とする物の多くは、いわゆる産業廃棄物ないしは不用物といわれるものに限定され、また、その行為の態様についても、主として廃棄するための施設(排気口、排水溝など)から放出される場合に限られることになつてくる。

これに対し、公害罪法は、前記のような公害関係諸法令によつて行政の面から、その公害発生の原因となる行為の取締や、その防止対策としての企業施設の改善を規制する等の措置を講じても、なおかつ現実に工場や事業場等から放出される有害物質により、被害が発生したり、あるいは被害発生の危険状態が生じた場合、その発生原因を探り、その加害者の刑事責任を追求することにより、公害による被害から国民の生命身体の安全を守ろうとすることを目的として制定されたものである。してみるとこのような公害罪法制定の法意や公害発生の態様が複雑多様なもので、これをすべて事前規制し得ないものであることにかんがみると、公害罪法に規定する人の健康を害する物質については、産業廃棄物ないしは事業活動上不用となつた物質に限るものと考えるべきではなく、それは、およそ人の健康を害する物質である限り、それが原材料そのものであろうと、製品(一次、二次)であろうと、これらのものが偶然混合したり化合して生じたものであろうと、一切これに含まれるものと解すべきである。また、その「排出」の概念についても、同じく「排出」という文言が使われているからと言つて、公害関係諸法令と統一的同意義に解し、そのための施設(排出口)から放出される場合にのみ「排出」にあたると限定解釈すべき理由もない。したがつて、それ以外の箇所から放出されても、また、その原因が施設ないしは管理上のかしによるものか、あるいは、単なる機械操作上のミスによるものかは問うところでないし、その放出の態様も、投棄、散布、噴出、飛散、流出、洩れ出し、しみ出るか、そして、それらが一時的か継続的かによつて区別する理由もない。要は「事業主体がその事業場において管理する人の健康に有害な物質を何人にも管理されない状態において、工場事業場外の生活圏に出すことをいう」と広く理解すべきである。

これを本件についてみるに、判示のように被告会社は、第二工場で行つている釘製造工程中の電気メツキ作業から生ずるシアンおよび酸を含んだ廃水を処理するため、第二工場東側部分にその処理施設を設け、右廃水に添加する硫酸、次亜塩素酸ソーダおよび苛性ソーダの各薬品の貯蔵タンクを設置し、これらのタンクに貯えられた各薬品を廃水に添加して中和処理したうえ公共水域に放流していたものであるが、本件当時被告会社において受入れた硫酸は、これと化合して塩素ガスを発生させた次亜塩素酸ソーダ(タンク内に貯蔵中)とともに右の中和剤として使用されるものであつたこと、本件の塩素ガスは、右両液の化合により、まず次亜塩素酸ソーダタンク内で発生し、その一部は排水処理場の屋根の上に設けられた直径五センチメートル、長さ約2.2メートルの塩化ビニール製パイプの排気口から、大部分は同タンクの上部マンホール口から扉を開いていた排水処理場の出入口を通じて、大気中に放出され、また、両液の急激な分解反応による突沸のため、相当量の混合液がそのまま同タンクマンホール口から処理場内の床上にあふれ出て、その場で塩素ガスを発生して処理場の出入口から大気中に放出され、折からの風で工場付近の大気中に拡散したものであることが認められる。

してみると、本件の塩素ガスそのものは、被告会社の本来の事業遂行の過程で生じたいわゆる産業廃棄物でも、また、不用となつた物質でもなく、処理場で使用する原材料そのものの混入化合により発生した物質であり、また、それが大気中に放出された経路にあたる次亜塩素酸ソーダタンクの排気口は、次亜塩素酸ソーダが自然分解する際発生する臭気を放出するためのものであり、同タンクのマンホール口は、タンク内部の点検等をする際に作業員が出入りするために設けられたものであつて、これらはいずれもいわゆる廃棄物を放出するための設備(排出口)でないことは所論のとおりであるが、それ自体有害物質であることは否定し得ないし、また、後記のように、その発生素材となつた硫酸等の薬品は、その貯蔵タンクを含め被告会社が使用管理しているものであるから、右薬品の混入化合によつて発生した塩素ガスについてもその管理責任のある物質であることには変りはない。そして、それが被告会社の事業場から被告会社の管理の及ばない生活圏に放出されている以上、その経路が本来の予定された排出施設でないタンク上部の排気口やマンホール口等から扉を開いていた排出処理場の出入口を通じて大気中に放出されたとしても、それは公害罪法にいわゆる有害物質の排出にあたるものといわねばならない。

なお、弁護人は、これに関連して右の薬品タンクならびにその受入れのための注入施設等は、薬品の発売元である三徳薬品株式会社の所有管理するものであり、かつ、これまでの慣例によると、被告会社が発注した薬品の納入業務は、すべて右三徳薬品において行つていて、薬品の納入が完了(注入の終了)するまでの間は、被告会社においてその所有権を取得するものではないことはもちろん、その管理権限も及ばないものであるから、その納入完了前に発生した本件塩素ガスに対する管理責任はないともいうが、後記のように貯蔵タンク等の所有権の有無、注入行為が納入者側(タンクローリー車の運転手)の操作によつてなされたか否か、薬品の所有権の移転時期が何時かなどにかかわりなく、その受入れ業務は被告会社の固有の業務に属するものであるから、それらの事由をもつて薬品ないしはそれから発生した本件塩素ガスに対する管理責任を免れることはできない。

(二)  次に、本件事故が被告会社の事業活動に伴つて惹起されたものであるかどうかについて判断する。

およそ公害罪法にいう「事業活動に伴つて」とは、事業目的遂行のための必要な活動に随伴してという意味であり、それは事業主体の本来の事業そのものの活動である必要はなく、これに関連附随する一切の活動を指すものと解すべきとこる、弁護人は、本件事故が公害罪法違反にあたるとするためには、少くとも被告会社の施設の維持もしくは管理ないしはその操作において従業員に過失がある場合でなければならないといい、本件は被告会社の従業員でない第三者が、しかも、納入する薬品を注入するに際し、自らそのホースの接続を誤まつて塩素ガスを発生させたことに起因するものであつて、右薬品の受入れについては、被告会社においてこれに立ち会いする等何らの義務も課せられることのないものであるから、被告会社の事業活動に伴う事故であるとはいえないと主張する。

なるほど、本件の塩素ガスは、判示のように、直接的には、被告会社の従業員でない被告人坪野の過失行為によつて発生したものであるが、その発生するに至つた原因や経過をみると、被告会社が行う排水処理作業は、その本来の事業活動を遂行するうえで必要不可欠な附随活動であり、いわば被告会社の事業活動そのものというべきであり、そして塩素ガス発生の素材となつた硫酸は、その排水処理に欠かせない必要物質であり、しかもそれ自体人の健康を害する物質であり、また、その扱い方によつては危険を生じさせる物質であることも明らかである。

ところで被告会社が右のような事業遂行の過程において、その薬品を注文して納入を受ける場合、いかなる方法をとるべきか、その際どのような注意を払うべきかは、当該取引の契約内容によつて異ることはあろうが、要は、その物質の危険性、納入場所や方法その量目、これに関与する人数、その者の専門的知識の有無、熟練度等諸般の事情を総合して定めるべきであると解される。これを本件についてみるに、納入品が毒物及び劇物取締法にいう劇物に該当する濃度62.53パーセントの稀硫酸四、八五〇キログラムであつて、それは被告会社の排水処理場に設置された貯蔵タンク内へ、その受入れパイプの注入口にタンクローリー車のホースを接続してコンプレツサーにより送り込むという方法によつて納入するものであること、当時その注入口は、処理場の入口から二ないし三メートル入つた西側壁面の高さ一メートルの位置に次亜塩素酸ソーダの注入口とその間隔約1.2メートルと極めて接近して並んで設置され、しかも、両注入口とも同色同型の塩化ビニール製のものであり、各注入口の開閉コツクのすぐ上部のパイプ部分にそれぞれ赤色のマジツクインクで、一方には「硫酸」、他方には「次亜塩素酸ソーダ」と記されていたが、その文字は判読不可能ではないがその色が薄れていたこと、また、次亜塩素酸ソーダ注入口の開閉コツク下のパイプ部分に「次亜塩素酸曹達液」と記された長さ約13.5センチメートル、幅約6.5センチメートルの蒲鉾板様の木札一枚が針金で取付けられていたが、その文字のうち「次」は全部、「亜」および「酸」の文字は一部が消えていて、判読が困難な状態であつたこと、硫酸の注入口は処理場の入口寄りにあつて、観音開きの入口の扉を開くと、その陰になり外から処理場内に入つてくるときは、やや見えにくい状況にあること、薬品を搬入してくる運転手は、その取扱について一応の専門的知識を有するものの、絶えず同一人であるとは限らないため、納入の場所やその設備の状況について必ずしもこれを熟知している者ばかりではなかつたこと、本件発生前の昭和四八年二月には、柏原市所在の株式会社山田メツキで、翌四九年一二月には和歌山市の南光染布株式会社で、昭和五〇年二月には日本ペイント大阪工場などにおいて、それぞれ薬品を搬入して来た運転手による誤注入事故があつたが、それらはいずれも受入会社の者が立会をしていなかつた状況下で発生したものであること等の事実が認められる。

以上のような事実の認められる状況下において、本件のような危険発生の伴うおそれのある薬品を受け入れる被告会社としては、少くとも、各薬品の注入口に一見してその薬品名が判別し得る程度にその明示方法を施すべきであることはもちろん、その注入口に施錠するなどして薬品を納入する都度、その搬入して来た者に該当する鍵を渡して注入を行わせる措置をとるべきであるし、ことに右のような措置をとつていない場合には、その受け入れの際には、その担当の従業員をしてこれに立ち会わせ、受渡しが完了するまでの間絶えず適切な注入が行われるよう搬入作業を行う運転手の行動を監視し、適宜それに必要な助言注意をなすべき義務がある。これを具体的にいえば立ち会つた従業員は、タンクおよびこれに接続するパイプが正常かどうか、タンクローリー車のホースと注入口との接続が間違つていないかどうか、その結着が確実になされているか否かを確認したうえ、自ら注入口のコツクを開き、あるいは運転手に指示してこれを開かせて注入作業を開始させるようにすることはもちろん、その注入中においても正常に注入がなされているかどうかを監視し、若し事故が発生したり、またそのおそれが生じたときは直ちに適切な処置をとれるよう留意すべき業務上の注意義務があるものといわなければならない。

なお、右に関し、弁護人は、前示のように本件の貯蔵タンクが硫酸の購入先である薬品会社からのサービスタンクであること、これまではしばしば薬品を搬送してきた運転手が被告会社に連絡もしないで注入し、その後に納品伝票を渡すなどしていたことを理由として被告会社に対し立会義務を課したりあるいは立ち会つた従業員に右のような注意義務があると考えることは相当でないというところ、右貯蔵タンクやその受入れパイプ等の施設が三徳薬品株式会社においてなされ、その物件は同社が所有し、その維持費用も負担する等していたいわゆるサービスタンクであることは所論のとおりであるが、それを使用利用する場合の管理(操作)義務(責任)は被告会社にあつたことは明らかであるから、これまでにおいて、その受け入れの際、被告会社の者が立ち会わない場合のあつたことは認め得るものの、前記毒物及び劇物取締法、同法施行令、規則がその取扱について慎重な配慮を要請しているその注意に照らすと、前記のようないわゆるサービスタンクであること、過去に立ち会わないことのあつたこと等の理由をもつてその立会義務を免れることはできないし、また、その際被告会社や従業員のとるべき措置あるいは注意義務についても、その責任を薬品の納入業者に転嫁することの許される筋合のものではない。むしろ、それは、被告会社が薬品納入業者、ことにその搬入者である運転手に対してなすべき契約上ならびに条理上の当然の義務というべきであり、そのことは同時に大阪府公害防止条例が規制するように、被告会社のように住宅密集地域において、人の健康に危険を及ぼすおそれのある薬品を使用する企業体の周辺住民に対する社会的責任でもあるといわねばならない。

そして、右の注意義務は、被告人松下が過去何回か立会したことがあつたことから、その業務性があるというものではなく、また、同時にそれは、同被告人が被告会社における職務担当者としての責任上立ち会つたか否かにも関係なく、ひとえに同被告人が被告会社の従業員として受入業務に関与したこと自体から、業務上の注意義務があるとするものである。

したがつて、以上の点に関する弁護人の主張はいずれも採用することができず、本件事故は被告会社の事業活動に伴つて惹起されたものといわねばならない。

(三)  最後に、被告人松下の過失の有無について検討を加える。前に判示したように、被告人松下は、昭和四九年一一月から被告会社の倉庫班長代理となり、同四八年一〇月頃からは排水処理場の責任をも兼務し、同施設の維持管理などの業務に従事していたものであるが、同処理場の担当者としては同被告人一人であつて、そこで使用する薬品の受入れについては、その直属の上司である専務取締役西戸勲からは、何らの指示や命令も受けることなく、事実上はその時の状況に応じ、資材係である渡辺稔之か、被告人松下かのどちらかがその掌にあたつていたこと、昭和五〇年一月八日以降本件発生の直前である同五一年二月二四日までの間における薬品の受け入れは計九三回行われていて、右渡辺と被告人松下の受入業務に従事した割合は、ほぼ前者が三ないし四に対して後者が一となつていたものの、被告人松下も、自己の職務に関連して薬品受け入れの仕事をもしていたこと、本件の薬品を受け入れる際には、硫酸を搬送してきたタンクローリー車の運転手である被告人坪野が、まず第二工場の現場事務所にいた被告人松下の席に納品伝票を持つて来、被告人松下がこれを受け取り、処理場の表出入口の扉の閂をはずして扉を開き、被告人坪野を迎え入れ、硫酸のタンクへの注入作業に立ち会つたこと、その際、タンクローリー車のホースをのばして入つて来た同被告人が硫酸の注入口と次亜塩素酸ソーダの注入口とを取り違えて、次亜塩素酸ソーダの注入口のパイプを持つていた「シノ」でたたき、この注入口にホースを結着しようとしたがホースが届かなかつたため、「ホースが注入口にとどかん」と言つたのに対し、被告人松下は「車をもつとこつちに寄せたらどうや」といい、右被告人坪野はその注入口の下辺にあつたドラム缶を移動させたりした後、右の注入口にホースを接続し、接続個所に番線を巻き、「シノ」をもつて番線を締めてホースを結着する等したこと、右作業中被告人松下は右被告人坪野のそばにいたが、同被告人の右作業に注目することもなく同人と雑談する等していたこと、その後、被告人坪野が注入口のバルブを開いたうえタンクローリー車に戻り、タンクローリーのバルブを開いてコンプレツサーの電気コードを持つて処理場内に入つてくると、被告人松下は「電源の位置は奥やで」と言つて処理場入口付近に移動したこと、間もなくスイツチが入れられコンプレツサーが作動して注入が始まるや、被告人松下は被告人坪野に対し「コンプレツサーの回転はこれでええんか」と尋ね、同被告人が「これでええんや」と答えると、本件硫酸の受領書を右坪野に渡し、「たのむわな」と言つて間もなく処理場から出て行つたこと等の事実が認められる。そうすると、被告人松下のとつた右行為は、排水処理場の責任者の立場で、しかも、これに密接する附随業務として薬品受入に立ち会う者として、当然なすべき、前に記載した注意義務を怠つた過失あるものといわねばならない。そしてその際、被告人松下がその注意義務を尽しておれば、被告人坪野のパイプの誤接続、それに伴う誤注入、塩素ガスの発生排出、被害の発生は容易に防止できたものであることが明らかであるから、同被告人の右過失が、判示のように被告人坪野のなすべき注意義務懈怠による過失と相競合して本件事故発生させたものといわねばならない。

なお、弁護人は、右に関連し、本件の注入作業は、専らタンクローリー車の運転者である被告人坪野の操作によつて行われるものであるから、同被告人がその注入作業を絶えず見守り、塩素ガスの発生を早期に発見してその注入を中止しさえしていれば、少くとも本件の被害発生は防止できたものであるところ、その注入を止める操作は被告人坪野においてのみなし得ることで被告会社の者の関知し得ないことであるから被告人松下にはその責任はないと主張する。なるほど、被告人坪野にその点の義務懈怠のあつたことは否定できないが、同時にそのことは前記のように注入作業が完了するまでの間は、これに立ち会い監視する義務のある被告人松下に対してもいい得ることである。すなわち同被告人が絶えず注入作業を見守るなどその義務を尽してさえいれば、本件の塩素ガス発生を早期に発見することができ、その際、自ら注入口のバルブを閉めるなり、あるいは、コンプレツサーの電源を切るなりなどするか、被告人坪野に注意を与え、タンクローリー車にあるバルブを閉めさせるなどして容易に事故の発生若しくはその拡大を防止し得たことが明らかであり、それにもかかわらず、被告人松下が、その注入作業の中途でその場から立去つている本件の場合においては、同被告人自身にもその義務懈怠のあるものといわねばならず、また、右の義務は、被告人坪野の右注入中止行為を期待信頼して自らの責任を免れることもできる筋合のものではない。

(四)  以上の次第で、結局本件事故は、判示のように、被告人松下自身の被告会社の薬品受入業務に関する注意義務懈怠と、被告人坪野がその業務とする薬品搬入時の注入作業に関する注意義務懈怠による各過失が競合して発生したものであり、被告会社の責任は免れることのできないものである。

(情状について)<省略>

(法令の適用)<省略>

(西村清治 下司正明 宮本由美子)

別紙被害一覧表<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例